鉛を背負って起きていたあの頃——問いかけが私の人生を変えるまで

朝起きると、体が重かった。

鉛を背負ったような感覚、と当時の私は思っていました。通勤バスの中では決まった場所で吐き気がして、会社に着くと前頭部が痛くなる。生汗が急に出てくることもありました。

病院に行くほどじゃない。でも、どこかおかしい。

そういう状態が続いていたのが、私がまだサラリーマンだった頃の話です。


大企業に34年勤めました。

若い頃から「安定」を選んできた人生でした。母親には小学生の頃から「公務員になれ、それが一番幸せになれる」と言われて育ちました。母の実家は自営業で、戦後の苦労を身をもって知っていた人でしたから、その言葉には切実なリアリティがありました。

私は公務員にはなりませんでしたが、気づけば半官半民の大企業に就職していました。言われたことをきっちりやる、規則どおりに動く。そういう文化の会社でした。

それが嫌で、営業職を選びました。自分で動ける仕事がしたかったから。成果も出してきました。でも、何か本質的には面白くない感覚がずっとあって、「自分で面白くしなきゃ」と思いながら仕事をしていた気がします。

やがて中間管理職になって、仕事のベクトルが上司に向き始めました。そのころから、体の不調も出てきた。

そして50歳を過ぎた頃、「これからの会社勤めを想像するとゾッとする」という感覚が、頭をよぎるようになりました。


転機は、ひとりの先輩の死でした。

会社で大変お世話になった方が、急逝したのです。豪傑な人でした。権力者だろうが上司だろうが、不条理なことがあれば真正面から闘う人。漫画でいえば「サラリーマン金太郎」そのもので、彼を慕う人がたくさんいました。

告別式でお経を聞きながら、私は自分の人生のことを考えていました。

自分の人生って、面白いか。常に安定を考えて、でも現状に不満ばかり言って、何もチャレンジしていないんじゃないか。会社での成績だって、会社の看板があってのこと。自分じゃ何もできないんじゃないか——。

その問いが、ずっと頭をよぎるようになりました。


その頃、知人の紹介で西田先生のFacebook投稿を読み始めました。

「ただ施術するだけじゃなくて、生き方について主張している面白い先生がいるよ」と教えてもらったのですが、最初はさらっと読んだだけでした。

でも先輩の死をきっかけに、西田先生の言葉が急にガンガン響き始めて。HPやブログを隅々まで読むようになりました。もう居ても立っても居られないほど。

千葉で開催された車座の会、関西での講座見学会——広島からの旅費は安くなかったけど、何とか工面して会いに行きました。

西田先生に実際にお会いして一番感じたのは、投稿の内容と実際の言葉や所作にズレがないということでした。正直な人だ、と思いました。

そして、47歳で大企業を退職して未知の世界に飛び込み、10年が経過していた。私とほぼ同じ境遇から、自分の力でやっている人がそこにいた。


私は50歳を過ぎていたので、悠長な時間はありませんでした。

2ヶ月悩んで、整体塾への入塾を決めました。

講座で一番印象に残ったのは、西田先生からのこんな問いかけでした。

「3億円の宝くじに当たり、あと30分で換金の締め切りです。銀行に向かう途中、骨折して歩けなくなりました。あなたならどうしますか?あきらめますか?」

今の自分が何を手に入れたいか。どうしても欲しいものなら、どういう行動をすればよいか。

この問いが、この講座で学ぶことの全て、と言っても過言ではないと思いました。


あれから数年が経って、今、私は広島県呉市で「心整体いきいき堂」を開いています。

体の不調を抱えながら「でも検査では異常なし」と言われてきた方、疲れが取れない、眠れない、気力がわかないという方のお役に立てる整体師になりたいと思ってやってきました。

あのサラリーマン時代の体の不調が、今の私の原点かもしれません。

あの「ゾッとした感覚」が、私を動かした。

そして、自分に問いかけることをやめなかったことが、今につながっています。


心整体いきいき堂について、もっと知りたい方はこちらをご覧ください。

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