「これをしたところで何になる」——中学生の頃からずっと、私の中にあった声のこと

はじめに——整体師の私が、自分自身に気づいた日
整体師として、「身体の不調の根っこには思考のクセがある」とお伝えし続けてきました。
でも正直に言うと、その言葉を自分自身に向けられていなかった部分がありました。
今日は、少し恥ずかしい話をします。
私自身が、知らないうちに「思考のブレーキ」をかけ続けてきた、という話です。
「なぜ豊かになれないのか」という問い
これまで、整体業の傍らでいくつかのことを試みました。
でも、思い描いていた結果にはなかなか届かない。
努力が足りないのか。自分に価値がないのか。
そんな問いをずっと抱えていました。
でもある日、ふと気づいたことがあります。
いつも、同じくらいのところで止まっている。
これは「能力の限界」ではなく、「パターン」ではないか、と。
ブレーキは、身体で先に現れていた
思い返すと、「もう少しで大きく動きそう」というタイミングがあったとき、決まって同じことが起きていました。
やる気が出なくなる。横になってゴロゴロしたくなる。気づくと全然関係のことをしている。
当時は「疲れているんだろう」「年齢のせいかな」と思っていました。
でもこれ、整体の現場で毎日見ている現象と同じだったんです。
脳が「変化」を危険と感知して、自律神経が休眠モードに切り替わった状態。
怠けていたわけでも、意志が弱かったわけでもない。脳と身体が自動的にブレーキをかけていただけでした。
「またここまでか」という声
さらに気づいたことがあります。
成果が伸び悩むたびに、頭の中でこんな声が聞こえていました。
「またここまでか……」
これは「記録」ではなく、「予言」になっていました。
近づくたびにこの声が浮かぶということは、脳がそこで止まることをすでに「知っている」。むしろ、止まるために近づいていたとさえ言えます。
達成する人との違いは、能力でも努力でもありません。
うまくいかないとき、「またダメか」ではなく「ここで何が起きているんだろう」と立ち止まれているかどうか、ただそれだけだと思います。
リアルタイムで体験した「思考が身体を動かす瞬間」
ある日、自分に問いかけてみました。
整体に来たお客様に「一度来てみませんか」と声をかけられているか、と。
「不調がなさそうだから言えていない」——そう気づいたとき、試しに心の中だけで「一度来てみませんか」と言ってみました。
そのとき、頭に浮かんできた言葉がこれです。
「これをしたところで何になる」
そして、横になりたい気持ちになりました。
思考が身体に影響を与える瞬間を、リアルタイムで体験した瞬間でした。
声に出してもいないのに、身体はもう反応していた。
この声は、いつからあったのか
「これをしたところで何になる」
この声、いつから自分の中にあるんだろうと考えてみました。
——中学生の頃から、ありました。
おそらく、誰かに言われた言葉や、繰り返された経験の中で、脳が自分を守るために覚えたパターンです。
長年、私のことを守ってきた声でもある。
だから否定しなくていい。でも、その声が「一度来てみませんか」を飲み込ませてきた。何か新しいことを始めようとするたびに途中で止めさせてきた。全部、同じ声が動かしていたんです。
「豊かになれない」のではなく「許可できていない」
整体師として、身体の回復を見続けてきてわかることがあります。
回復しない人の多くは、「身体が悪い」のではなく、「今の状態が普通」と脳が覚えてしまっているだけです。
猫背の人に「背筋を伸ばして」と言うと、一瞬は伸びる。でも脳が「猫背が正常」と記憶しているから、そこに引き戻される。
お金も、同じ仕組みです。
「月収〇〇万円の自分」が脳の基準点になっていれば、それを超えそうになると無意識にブレーキがかかる。
「豊かになれない」のではなく、「豊かな自分を、まだ許可できていない」。
これが、私が自分自身を通して気づいた答えです。
気づいた日が、変わり始める日
今日、この声の存在に気づいたこと。
それだけで、中学生から続いてきたパターンの中で、はじめて少し外から見られたということです。
整体でも同じです。
「この身体の感覚、おかしいな」と気づいた瞬間から、回復は始まります。
気づきが先。変化はその後についてきます。
おわりに
「思考が身体をつくる」とお伝えしている私が、自分自身でそのパターンの中にいました。
でも、それでいいと思っています。
気づきは、いつからでも始められる。
もし「いつも同じところで止まっている」と感じることがあるなら、それはあなたの意志が弱いのでも、能力が足りないのでもありません。
ただ、脳がまだ「そこ」を知らないだけです。
一緒に、気づいていきましょう。
