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只管打坐(しかんだざ)

タイトルに只管打坐(しかんだざ)と、いかにもわかった風に書かせてもらったが、これは坐禅を表した言葉になる。今年の7月から坐禅を始めた。月に一度、道心寺(近くにある曹洞宗の寺)さんの参禅会に参加する。

始めるきっかけとなったのは、私自身の変化である。脱サラして整体業を営み、3年が経過したが想像していた以上に独立して運営していくのは大変だ。毎日ヒリヒリする。心も乱れまくる。高揚感からドン底。まるでジェットコースターだ。

この乱高下が冷静な判断を失い、あっち行ったりこっち行ったり、右往左往する。悪い時が特にそうなる。不安が押し寄せてきたら、すぐに自分の信念が揺らぐのだ。それをごまかすために自分探しと称して、美味しいものを食べてみたり、スポーツ観戦で興奮したり、TV番組やYouTubeを観ては紛らわそうとしていた。誤解なきよう言っておくが、信念が揺らいで無いのであれば、別に問題ないと思う。だが、私はそうで無かった。

心穏やかに信念を全うする。3年経過した今、見直そうと思ったのである。ややもすれば坐禅もまた、ごまかすための自分探しに利用しているかもしれないが、そうならないよう1年間は何も考えずに継続することを誓った。約800年も前から人が受け継いでやっていることなので上っ面なものではないと想像している。

まだ始めたばかりのヒヨッコに坐禅についての書物が渡された。本当は道元禅師が書かれた「普勧坐禅儀」、少しわかりやすく説明された「坐禅用心記」というのがあるらしいが、それらは難しすぎて読めないので、私には「禅を志す人へ」というガイドブックが渡された。(それでもまだ小難しい 笑)

その中に初心者の魔境という節がある。要するに初心者がすぐに挫折するだろうと思われる注意書きみたいなものである。それをわかりやすく紹介してみる。

  • 天候や仕事、家族・友人との約束などを理由にして挫折すること
  • 足が痛いと言って挫折すること
  • 心に固く誓っても、まず襲ってくるだろう身体がその通りに従わなくなるタイミングで挫折すること
  • 生理的欲求の睡魔などで続けることができないと挫折すること
  • 坐禅中に次から次へと雑念や妄想が現れて堪えきれずに挫折すること
  • 坐禅が継続してできるようになると仏になったような気分になり高揚してしまうことで挫折すること
  • 無我の境地を求めすぎることが、心乱れて坐中の苦しみに耐えれなくなり挫折すること

以上である。ガイドブックには、もう少し難しく書いてある。なので私なりにわかりやすく翻訳してみたが、わかっていただけただろうか。意味は同意であると自負している。

しかし笑ってしまうほど、あるある大事典だ。すでに私が挫折しかける理由があったので、心を矢に射抜かれた気分だ。ガイドブックを読まずにただ坐禅するだけならば、このうちのどれかの理由で挫折していた可能性大だ。特に足が痛いのは辛いので、辞める理由第一候補だったかもしれない。

今回はそれを理由に辞めるのを辞める。足が痛い対策は、できるだけ毎日30分ほど整体部屋で坐禅してみている。慣れるまでやってみる。ということで今回は簡単に挫折しない。以前に比べたら、ずいぶんと成長した自分を褒めているところだ。

只管打坐(しかんだざ)。

最後にガイドブックの一部を引用して本日のブログ記事は終わりとする。

禅の指導者は「坐相正しければ、心またこれに従う」とか「一寸坐れば一寸の仏」と参禅者を称賛するが、それは「本具の仏性を顕現させている」との意味でいう言葉である。

 

元々、生きた人間の心が仏界に入るには、坐中の工夫、つまり、調心によらねばならず、ただ坐っているだけではなく、只管(ひたすら)に坐り抜くことを勧め、このことを「只管打坐」の語で表し、略して「打坐」ともいう。

禅を志す人へ 一部抜粋
坐禅するときに坐蒲(ざぶ)に坐る

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