自己否定の歴史が“支援の力”に変わるまで

私はこれまでの人生で、何度も「自分は劣っている」と感じてきました。
学校では算数や数学の応用問題が苦手で、努力しても結果につながらず、劣等感を抱えていました。中学生の頃には「周りは勉強していないのに実力テストで点が取れるのに、自分は全然ダメだ」と孤独感を覚え、人の目ばかり気にして過ごしていました。
高校に進学すると、さらに衝撃を受けました。
頭の回転の速さで東大や早慶に進む同級生、プロを目指す運動能力を持つ仲間たち——まるで自分の何歩も先を行く人たちと出会ったのです。
しかも彼らの親御さんは会社経営者や元実業団選手など、恵まれた環境に育っていることにも気づき、「生まれ育ちからして違うのだ」と痛感しました。そのときの思いは、自己否定に輪をかけるものでした。
「どうして自分はこんな星のもとに生まれたのだろう」
そんな疑問を抱えながら過ごした青春は、どこか薄っぺらで、自分に自信を持てない時間だったように思います。
社会人になってからもその感覚は消えず、言語能力や分析力、頭の回転に自信が持てず、「周りより劣っている」と思いながら34年間をサラリーマンとして過ごしました。振り返れば、それは「自己否定の歴史」と言えるかもしれません。
けれど整体師となった今、改めて思うのです。
その経験はすべて、今の仕事につながっていると。
- 努力しても報われなかった体験 → 努力が結果に直結しない苦しさに共感できる
- 人の目を気にして生きてきた体験 → 安心できる空間の大切さを知っている
- 周囲との差を痛感した体験 → 比較で苦しむ人に「自分のペースでいい」と伝えられる
- 誤魔化してでも続けた34年間 → 生き抜くしなやかさを身につけた
- 脱サラして挑戦した経験 → 人生はやり直せると伝えられる
つまり、弱さだと思っていたものは、実は「他者に寄り添う力」だったのです。
整体の現場でも同じことが言えます。
「痛みがあるから動けない」と思っていても、必ず“できている動き”があります。
その小さな事実を見つけて育てることが、改善への第一歩です。
人の人生も同じではないでしょうか。
「できない」と思う歴史の中にも、必ず「できてきた事実」がある。
それを見つめ直せば、自己否定の歴史は“支援の力”に変わります。
私自身、その歩みを証明する一人でありたいと思っています。