自分に問いかけるという習慣

― 感情が動いたときこそ、自分と向き合うチャンス ―

みなさんは、自分に問いかけるということを、日常の中でされているでしょうか。
いわゆる「自問」です。

私はいつもセッションの中で、こんなお話をさせていただいています。

イラっとしたとき
悲しくなったとき
不安になったとき

つまり、感情が動いたときには、必ず何らかの「思い込み」が潜んでいると考えてみてください、と。

そのときに、難しく考える必要はありません。
ただ、こんな問いを自分に向けてみるだけです。

  • 「なんでイラッとしたんだろう?」
  • 「どうして不安になるんだろう?」

今日は、私自身の体験をひとつご紹介します。
これは、お客様にもよくお話ししている内容です。


朝の散歩で起きた、小さな出来事

私は、ほぼ毎朝、愛犬の柴犬「小春」と散歩をしています。
特に晴れた日は、青空を見上げながら、

「今日も気持ちよく過ごせますように」

そんなことを思いながら歩き始めます。

散歩をしていると、知っている人、知らない人と必ずすれ違います。
私は知らない方にも、自然と「おはようございます」と挨拶をします。

ところが中には、挨拶を返さず、そのまま通り過ぎる人がいます。

そんなとき、私はイラッとします。

「なんで、こっちは笑顔で挨拶しているのに、無視するんだよ…」

数年前までの私は、そこからイライラが止まりませんでした。
返事がなかったことが頭から離れず、散歩の時間そのものが、どんどんネガティブなものになっていったのです。


「なんでイラッとしたんだろう?」と問いかけてみる

今は、スタンスを変えました。

イラッとしたら、すぐにこう問いかけます。

「なんで、自分はイラッとしたんだろう?」

すると、いろいろな考えが浮かんできます。

  • 挨拶をしたのに返礼がない。
    → 相手より自分のほうが正しいと思っているのだろうか
  • 自分のプライドが傷ついたのかもしれない
  • 挨拶をしたら、返すのが当たり前だと教えられてきたから?

さらに問いを深めていくと、私の場合は小学生の頃まで遡りました。

  • 成績が少し良くて、周囲からチヤホヤされていた
  • 勉強もスポーツもできて、意見が通りやすかった
  • その中で、知らず知らずのうちにプライドが出来上がっていた

「ああ、これはいらないプライドだな」

そう気づいて、
「もう、やめよう」
と自分の中で区切りをつけました。


それでも、感情はまた出てくる

ただし、一度気づいたら終わりというわけではありません。

次の日の朝、同じように挨拶を無視されると、またイラッとします。
だから、また問いかけます。

来る日も来る日も、
イラッとしたら問い、
また問い、
問い続けます。

すると、毎回たどり着く答えは同じです。

「また、あの頃のプライドか」

そのうち、問いかけること自体が面倒になってきます。
そうなると不思議なもので、挨拶を無視されても、何も感じなくなっていくのです。


さらに一歩、進めてみたこと

私は、もう一つだけ試してみました。

挨拶を返さずに通り過ぎた人に、心の中でこう願うのです。

「今日も、この人にいいことがありますように」

正直に言うと、ちょっと気恥ずかしい気持ちもありました。
ですが、本当に続けてみました。

すると、散歩中にふっと頭が軽くなり、
空を見上げたときに、何かがスーッと抜けたような感覚が訪れました。

言葉にしづらいのですが、
とにかく気持ちがいいのです。


相手を願うことは、自分を願うこと

ある本で読んだのですが、
無意識には主語がないそうです。

つまり、
「相手にいいことがありますように」
と願うことは、
同時に自分にもそう言っているのと同じなのだとか。

それ以来、朝の散歩が、本当の意味で気持ちよく終わるようになりました。

以前は「気持ちいい散歩のはず」が、
イライラで終わることも少なくありませんでした。

1日の始まりがポジティブか、ネガティブか。
その差は、思っている以上に大きいのかもしれません。

もし、日常の中で感情が揺れたときがあったら、
ぜひ一度、シンプルに自分に問いかけてみてください。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日はクリスマスイブですね。

メリークリスマス!
皆さまに、穏やかであたたかな時間が訪れますように。

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