心整体 いきいき堂 代表の岩野です。
このブログでは読書や体験を通じて、心と身体が健やかにいきいきと暮らせるためのヒントやアイデアをお伝えできたらと思います。
今回は医療に関する本をご紹介したいと思います。
PHP文庫から出版されている内海 聡 著の精神科は今日もやり放題(医者が教える、過激ながらも大切な話)です。

つい先日、書店を訪れた時、ぶらっと書棚を眺めていて、たまたま見つけました。
著者の内海 聡さんは現役の医師ですね。
よくFacebookで記事を見かけていました。Facebookでは強烈に世間を批判する記事が多かったと思います。私は批判だけに終わる記事はあまり好ましく思えないので、記事はスルーしてました 笑
ただ、記事をスルーしていたものの、内海さんが書いた本があるということを書店で知ったうえに、タイトルもすごいインパクトでしたので、購入してみました。
冒頭に「この本は自戒の書である。」と書いてありました。
この冒頭の一文で内海さんの印象が変わりました。
ほんと、Facebookでは醜いほど(笑)の批判、アンチの嵐だったような印象でしたが、冒頭の一文で言いっぱなしではないかも・・・と感じたのです。
著者のことはこれくらいにして、中身に触れてみます。
著者はまず精神科の診断基準がとてもいい加減なものであると訴えています。
基準となっているアメリカでは製薬会社と癒着の深い精神科医が多数決やその日の気分で診断基準を決めてしまったと。
癒着の深い精神科業界であるから、当然、製薬会社と精神医療が儲かるように設定したきたと言っています。
薬についても安全な精神薬はありえないと提言しています。
100〜数十年前までは現代のような複数の精神薬は存在せず、酒(アルコール)、アヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカインのような物質を使ってきたようです。
現代はそれが進化し薬物が順次登場してきたが、薬物が安全であることを示すものはないと。
覚醒剤や麻薬よりは若干、副作用や依存性がましではあるが、決して安全な精神薬など一つもないということをわれわれは理解せねばならないと言っています。

先ほど、精神科の診断基準がいい加減なものであると指摘されていましたが、例えばこんなことのようです。
緊張する人は社会不安障害!?
うつ病と同じくらいいい加減な病名である。その名のとおり、何かについての不安を持っているだけで「不安障害」となってしまう。それが社会的なことであれば「社会不安障害」である。
会社でプレゼンするとき、緊張してしまうのは社会不安障害だとされている。
これまでの論理同様、本来これらの反応というのはむしろ人間として自然な反応である。この世に生きていれば何かに不安を感じるのが人間というものである。予想不能な出来事が起きればパニックを起こすであろうし、メンタルが弱ければ大舞台で緊張して声も出せないのは必然でしかない。緊張すると汗をかく、発表時に声が震える。こんな程度の当たり前の出来事が、今の時代は精神疾患として認可されている。その人のいったいどこがおかしいというのか?
中略
これらが病気として扱われるようになったのには、二つの大きな理由がある。一つは私のように正直に、不安障害などなく、ただ人間的に弱いだけだと言ってしまうと、ドクターハラスメントであるとか、人権侵害のようにとらえる風潮ができあがったことだ。
私もとても緊張するタイプです。人前で話をするのはぜんぜんダメです。
もし、この不安でメンタルクリニックに行けば「社会不安障害」になってしまい、すぐに薬を処方される対象となるわけですね。笑
そして、改善もされず薬依存から抜け出せなくなると・・・
あ〜想像するとゾッとしてしまいますね。

著者は精神科を受診する前の10 の心得を示しています。
①精神症状が本当に医療でしか解決できないのか
②働きすぎになっていないか
③社会の常識に惑わされていないか
④そもそも病気であるのか
⑤他科によってしっかり検査したか
⑥自分でその症状を良くするためにできることはないか
⑦いろんなトラブルや苦痛も人生の一ページである
⑧今の精神科医に洗脳されていないかどうか
⑨日常生活や食生活に問題がないか
⑩それでも薬を飲むのなら極少量になっているか

そして、最後に著者は精神科不要論を唱えています。
精神科ではだれも治らないので、クリニックでも病院でも患者はたまっていく一方である。
この事態はだれも治さないことによって通院患者数を増やし、収入を増やそうと企んでいるに等しい。
社会が病んでいるから精神科に患者がたまるのではないということを、いまだ一般人はだれも理解しようとしないようだ。
これらの罪はさておいても、そもそも精神とか心とかの問題は、人間的な問題であり、社会的な問題であって、医学の問題ではない。
それを医学の問題であるかのようにすり替え、自分たちの利益へ誘導した精神医学界の策略は、奸智(かんち)のひと言に尽きる。
それとともに人々が根本的な問題から逃げ続け、精神科という見せかけの看板と専門家に問題を丸投げしたともとらえることができる。家族の問題を真剣に考えて取り組む人間は日本にはいなくなってしまった。
個人的悩みや心理的問題をまるで教会や何かで啓示を与えられたり、聖母に癒されにいったりするかのような気分で精神科を受診するのである。しかし、そうしたことはそもそも医学が負うべき仕事ではない。
人々が普遍的に望み、かつ絶対に求め得ぬものを医療という名のもとに誘導したからこそ、今の精神医療被害の数々は引き起こされることとなった。
だから、精神科などというものはこの世に存在してはいけない。
これが存在するからこそ、人々は甘いものに群がる蟻のように精神科に集まり、最後は踏みつぶされていく。最初から「精神科などない」「精神を治療してくれるような都合のいい組織も科学もない」という前提に立てば、人々は必ず立ち直り、生きていく力を持つものである。
もし一人でそれが無理だとしても、恥も体裁も乗り越え、人々の協調の中で改善策を見いだしていく。
最後の精神科不要論はとても印象に残りました。
ここまで、ほんの一部ですが内容を紹介をいたしました。
私のまわりでも、心療内科やメンタルクリニックに通うのになかなか改善しない方がいます。
なるほど、そんな仕組みでそうなってしまうのか・・・と納得でした。

皆さん、心と身体が健やかにいきいきと暮らせるためのヒントになりましたでしょうか?
詳しくは書店にてご購入してくださいね。
それでは、また!
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