私の整体院は自律神経不調専門と銘打っていることもあり、肩こり、腰痛などの整形外科的な症状とは別に心のアンバランスからくる不安定な状態を何とかしたいと訪ねて来られる方々が半分以上いらっしゃいます。
- 寝れない
- 寝ても疲れが取れない
- 動悸がしてくる
- 突然過呼吸が襲ってくる
症状は他にもたくさんありますが、病院で検査しても異常が見つからない。けど不調があり、困っていらっしゃるのです。
不調をお持ちの方々とセッションをしていくと、「自分自身の考え方」が要因となっていることが多いと気づきます。
私も上記のような不調を感じた時期があります。
「自分自身の考え方」は横に置いといて・・・が多く、そのかわりに「他人のせい」にしていることがほとんどであることに気づきました。
私が気づきをもらったのは、書籍です。
「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健 著です。
本記事では「嫌われる勇気」を中心に心のアンバランスからくる不安定な状態を紐解き、改善していければ良いと考えております。
この記事を書いている私は、自律神経不調専門の整体、「心整体 いきいき堂」の整体師として活動しています。
トラウマは存在しない
例えば
風邪で高熱を出して医者に診てもらったとします。そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、昨日、薄着をして出かけたからです」と風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。
さて、あなたはこれで満足できますか?
大半の方はできるはずもないですね。理由が薄着のせいであろうと、雨に降られたせいであろうとそんなことはどうでもいい。問題はいま高熱に苦しめられているという事実であり、症状です。
薬を処方するなり、注射するなり、何かしらの専門的処置をとって、治療して欲しいと思いますよね。
これと同様のことが一般的なカウンセラーや精神科医の対応にあります。「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。
つまりトラウマの議論は原因だけを論じていることなのです。
書籍「嫌われる勇気」は「アドラー心理学」をもとに形成されています。そのアドラー心理学では、トラウマを明確に否定しています。
これは非常に画期的なところです。
フロイト心理学によるトラウマ議論については、心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。
人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。
しかし、アドラー心理学ではこのように語っています。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。私たちは自分の経験によるショック・・・いわゆるトラウマ・・・に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出している。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と語っています。
ちょっと難しいですね。目的にかなうものを見つけ出す??
例えば、大きな災害に見舞われたとか、幼い頃に虐待を受けたといった出来事が人格形成に及ぼす影響がゼロだったとはいいません。影響は強くあります。
しかし、大切なのはそれによって何かが決定されるわけではない、ということです。
私たちは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
引きこもりの場合

では、よくある引きこもりのような場合、自らが引きこもるようなことを選んでいるということになります。
えっ!そんなことはない。過去に例えば両親から虐待を受けたから、社会に適合できない・・・だから引きこもっている自分を選択せざるをえなかった、過去のトラウマが原因でいま、引きこもっているのです、という考えでした。今も大半がそのような考えだと思います。
アドラー心理学でこう考えます。
「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できないのだ」と考えているのだとすれば、その人のなかにそう考えたい「目的」があるのです。
それはどんな目的なんでしょう?
それは「外に出ない」という目的です。外に出ないために、不安や恐怖を作り出している。

どうして外に出たくないということになるのでしょうか?
では、引きこもっている人の親だと想定してみましょう。自分の子どもが部屋に引きこもっていたら、どう思うでしょうか?
それはもちろん心配ですよね。
どうすれば社会復帰してくれるのか、どうすれば元気を取り戻してくれるのか、そして自分の子育ては間違っていたのか。真剣に思い悩むだろうし、社会復帰に向けてありとあらゆる努力を試みるでしょう。
問題はここにあるようです。
外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。
一方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸なる私、あるいは他者より見劣りした私になってしまう。そして誰も私を大切に扱ってくれなくなる・・・
このようなことが引きこもりの人によくある話です。
「目的論」で生きている

では、このようなことで引きこもっている人は「目的」を成就しており、今の状態に満足しているのだろうか?
それは人それぞれでしょう。不満はあるでしょうし、幸福というわけではないでしょう。しかし、その人が「目的」に沿った行動をとっていることは間違いありません。
引きこもりの人だけでなく、私たちはみな、何かしらの「目的」に沿って生きている。
これが前回のブログでもお話ししていたアドラー心理学の目的論をわかりやすくした例えとなります。
本日はここまでです。
みなさんいかがでしたでしょうか?
トラウマに対する考えがガラリと変わってきました。確かに過去に体験したことを原因として、今の状況が良くないのであれば、この原因は消せなくなるので、いつまで経っても同じ状況になってしまいます。
人は良くない状態から抜け出し、誰しもが幸せにならなければなりません。このような事例が全てにあてはまるわけではありませんが、幸せに向かうためのヒントになるのではないでしょうか?
まだまだ続きがありますので、また解説していきたいと思います。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
この先の内容が気になる方は書店にてお買い求めください!笑
コメント